駅伝ひとりごとっ!

【印象深い駅伝の話】法政・磯田和也選手

※【印象深い駅伝の話】のコーナーはブログ管理人のお気に入りネタを気まぐれに綴るコーナーです

第94回箱根駅伝。「法政大学。磯田和也4年生。今日エントリー変更です。就職は小田急電鉄の運転手といことで、卒業しても箱根を目指す。小田急電鉄と言えばロマンスカー。ロマンスカーと箱根駅伝。箱根を堪能する人生になりそうです。」という名(迷)実況により、就職先及び趣味(鉄道)のTwitterアカウントがバレてプチバズりした選手です。

スポーツ推薦ではなく一般入試で入学した磯田選手。坪田監督から寮入りを提案されるも「家でパノラマを作っているため」という理由で寮入りを断るほどの鉄道好きなんだとか。(※ちなみに坪田監督はこの理由に納得していたらしい。)

磯田選手は当日エントリー変更により9区を走ることになりました。当時4年生だった磯田選手にとっては最初で最後の箱根駅伝。「小田急頑張れ(←これ当時実況を知らない本人はどう思っていたのか…w)」という沿道の声援も力に変えて区間4位の好走をしました。(チーム2年連続のシード権獲得に貢献。)

「迷実況面白かったね。」「区間4位さすがだね。」と思った駅伝ファンたち。実はまだまだドラマが隠れていました。

もともと磯田選手が走った9区は他の選手が走る予定でした。1月3日の朝、予定の選手の体調不良により急遽走ることになったそうです。コースの確認すらしていない状況だったらしく、当日朝タクシーで道確認。急遽「振替輸走」を託されたかたちだったみたいです。

11番目の選手の好走に坪田監督は「見る目がなかった」と反省したというエピソードもなかなか胸熱。(磯田選手に対する賛辞。)

磯田選手には「1回の駅伝でドラマ詰まり過ぎで賞」を贈りたいです。